様々な思いや覚悟をこめてブランド名、ロゴマークを生み出し、2013年に開店した久世福商店の1号店。今回は久世良太社長に久世福商店が新しいブランドとして走りだすために欠かせなかったものを聞きました。全国のおいしいものを取り揃えて全国で販売するための仕組みづくり、東日本大震災の被災地域にある仕入れ先への想いとは。
ブランド名やロゴの由来についての対談 前回の記事はこちら
協力してくださった方々との出会いがあってこそ
———久世福商店ができるまで会社のメインブランドであったサンクゼールは、自社工場でジャムやパスタソースを作って販売してきたメーカーズブランドです。久世福商店という新たに全国からおいしいものを取り揃えて販売する形のお店を作っていく上で、欠かせなかったものは何でしょうか?
久世良太社長(以下 良太):そうですね。なんといっても協力してくださった方々の存在は欠かせませんでした。
まず、久世福商店の商品は、全国の生産者さんから各地の社内外の物流センターに集め、各店舗に必要な分を分けて送っています。そういった個別の配送を対応してくれるような会社が10年前のオープン当時はなかったので、自社でやるしかなかった。
配送センターを作る場所を探して、長野県信濃町で「ここだ!」と思える土地に出会いました。所有していたのは東京にある会社。買わせてほしいとお願いしに行きました。そうして買わせていただいたのが、今いるオフィス兼配送センターです。まずは、その会社に土地を譲っていただいたからこそ久世福商店が始められたといえるでしょう。
あと、ITのシステムも。それまで自社で使っていたものとは異なる全く新しい仕組みを作るために、他社の方をヘッドハンティングしましたね。美味しいしゃぶしゃぶを食べてもらいながら「ぜひうちに来てほしい」と口説いて(笑)。
他にもフランチャイズ店の会社さんや仕入れ先の方々など、様々な出会いがあり、協力者となってもらったことで今があると思っています。
久世良太社長
「想像していたよりも傷が深い」東日本大震災の被災地域にある仕入先への思い
―――多くの出会いやご縁で久世福商店は成り立っているのですね。仕入れ先の会社さんとの思い出の中で、特に心に残っているエピソードを教えてください。
良太:特に思い出があるのは、東日本大震災で被害を受けた仕入れ先です。久世福商店が始まる2年前の震災で全てを無くしてしまって、被災されたメーカーさん達の再建が始まったばかりでした。
実際に被災された会社の方とお会いしてみると、工場や自宅、そしてご家族まで失うという経験をされている方でさえも明るく気丈にふるまわれていて。その光景を目の当たりにしたときに、僕が想像していたよりもずっと傷が深いんだなと感じました。
悲惨な状況の中でいちから立て直して商品を作るだけでも大変なのに、さらに売らないといけないですよね。僕たちも、自社工場で商品を作って売る「サンクゼール」のメーカーとして、自分たちで作り、売っていくことがいかに大変かを十分に知っています。だから、ほんの少しでも久世福商店の販路やブランドを活かして、被害を受けたメーカーさんの助けになれたらと思ってやってきました。
久世福商店を立ち上げるときに多くの人や会社さんに支えていただいたように、今度は久世福商店が東北のメーカーさん達を支えたいですね。
もちろん、これからも東北だけではなく、全国の素晴らしいものを手掛けるメーカーさんの安定的な販路になれるお店を目指して久世福商店を育てていきたいと強く思っています。
東北生まれの人気商品 気仙沼ホルモン(一部店舗)
東北生まれの人気商品 大人のしゃけしゃけめんたい
―――様々な出会いがあってできた久世福商店。実際にオープンしたときは、いかがでしたか?
良太:第1号店がオープンの時は、お客様がとても喜んでいる姿をすぐ近くで見ることができました。そのときに、手ごたえというものを感じました。新しく可能性のある業態を作って、世に出せたのだなという強い実感があったんですね。それがとても嬉しかったです。
本当に様々なことがあって、地道な積み重ねやたくさんいる関係者みんなの想いが集結して、お客様の心に届くいいお店になったのかなと。
本当に知名度のないところから始まって10年間。長かったようで短く、短かったようで長かったですね。多くの人に久世福商店を知っていただいて、やってきてよかったなと思います。