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久世福商店のはじまり

久世福商店の記念すべき1号店(幕張新都心店)

「なぜ日本人が洋食を売っているの?」土台となった中国での経験

———まず、久世福商店の立ち上げとなった2013年頃。良三さんは社長でした。当時の会社や良太さん、直樹さんのしていたことを教えてください。

久世良三会長(以下 良三):株式会社サンクゼールは、長野県飯綱町の工場で自社製造した食品を販売する「サンクゼール」の店舗を展開していました。製造、販売しているものの多くはジャムやパスタソース、ワインなどの欧米発祥の食品です。店舗は好調で中国にも出店していましたが、撤退する流れとなっていました。社内では多くの従業員が次の一手は何かとアンテナを立てていたようです。

久世直樹副社長(以下 直樹):私は当時、中国のサンクゼールの店舗にいました。2011年にオープンして日本で作ったジャムやパスタソース、ワインなどを中国に輸入して店頭に並べていました。加えて、たい焼きやキャベツ焼きを作って日本食のファストフード店のようにもしていて。

でも、お客様からはよく「なんであなたたちは日本人なのに、ジャムやパスタソースのような洋食の商品を売っているの?」と質問を受けていましたね。そこで、日本の他のメーカーのお菓子やお酒もお店に置いたりしました。

当時の中国の店舗

久世良太社長(以下 良太):そうでしたよね。僕は当時、店舗開発の仕事をしていて、グローバル展開をこれからどうしていこうかとも考えていました。サンクゼールは商品を長野で作っているというこだわりがあるのですが、海外から見るとヨーロッパの食品を日本で作っているという説明をしなければいけない難しさがありましたね。

直樹:当時、中国の出店先に良三さんや良太さん、経営幹部が来てお店の様子を見ていたので、肌でいろいろな状況を感じていました。よく、3人で議論していましたね。

良三:おいしいお茶を飲みながらね。

良太:フルーツの入った中国茶を温めながら外で飲むお店で。いろいろと生き残っていくための可能性というものを話していましたよね。

対談の様子

「和のグロッサリーストアだ!」夜明けのシンガポールから送ったメール

———その中でどうやって久世福商店が生まれたのでしょうか?

良三:その頃、他社の方々と話をしていると時々「日本伝統の食材が売れている」と情報が入ってきました。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されるというニュースも聞こえていました。戦後、高度成長期やバブル期に日本人が見失ってきた日本の素晴らしいものに日本人自身が気づいてきたころだったのでしょう。

良太:僕も店舗開発担当として、全国各地にある自社の店舗やその周辺のお店を見ていたのですが、各地に和食を中心としたコンセプトショップがあり、繁盛店も多い。ニーズがあるという市場のうねりを感じていました。

良三:和の食材が売れているという情報。中国から優秀な人材も戻ってきた。社内で危機感をもってアンテナを立てている人たち。ひとつひとつの点があったのですが、具体的な線が描けません。

それぞれの点が線になってつながったのは、シンガポールでの展示会のことでした。

シンガポールで行われた展示会の様子

県内から何社か参加していた展示会にサンクゼールも出展しており、私も行っていました。夜はパーティーがあり、展示会を主催した会社の方に和のものに興味を持っていることを話しました。その方は私の実家のこと(※注釈)をご存じで、「確かお父様は久世商店さんですよね」と。

その言葉を聞いた瞬間に頭の中に映像が出てきました。まず、私の実家である久世商店のたたずまい。あと、私の祖母が醤油屋の娘だったのですが、その昔の醤油蔵の様子や匂いを思い出しまして。

日本における和のグロッサリーストアは当時あったものの、チェーン展開をやっているところはほとんどありませんでした。後発ではあるがここだろうと。

その夜、ホテルに戻って22時ころから朝5時くらいまでかけて夢中になって「久世商店」をやったらどうかという企画書のようなものを作り、当時の幹部や良太さん、直樹さんにメールをしました。

久世良三会長の幼少期(久世商店前にて)

———良太さんと直樹さんはそのメールを読んでどう感じましたか?

直樹:これであれば海外で勝負ができるという気持ちになりました。

中国の店舗を始めてすぐ、東日本大震災の原発事故の影響で日本から食材が輸入できなくなってしまいました。そこで現地の食材を仕入れてお客様の目の前で作るジェラートを始めてみたところ、飛ぶように売れまして、大行列ができました。当時、中国ではソフトクリームが流行っていたのですが、日本の一般的なジェラートの店は珍しかったこともあったようです。

お店に置いた日本の独自の商品が好評だったこと、またこの経験から、私たちが世界のお客様に商品を届けるときに、日本の伝統的なものや近年国内で愛されている素晴らしいものが必ず強みになると学んできました。

良三さんの企画書の中にそういった将来グローバル展開につながるものがあったのです。

良太:僕も、朝5時くらいにメールが届いて、すぐに見て「これだな!」と確信しました。

久世福商店の1号店はイオンモール幕張新都心店ですが、イオンさんからはオープンの1年前から「これからは食品に力を入れていくので、サンクゼールさんも何か新しいことをやってほしい」とお話をいただいていました。

世の中のニーズも、良三さんの作ったコンセプトも、社内の人材もそろっていて、実行できる力もある。久世福商店が生まれたのは、本当に素晴らしいタイミングでした。

久世良三会長

※久世良三会長の実家は、東京都内で食品の卸、ケチャップやソースなどの製造業を営んでいる「久世商店(現在は株式会社久世)」。

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